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  日本馬海外挑戦記




※G1レース勝利のみ掲載しています

1998年 モーリスドゲスト賞 シーキングザパール
長い間、日本馬にとって悲願だった海外GI制覇。それを初めて成し遂げたのがシーキングザパール(1994年生まれ、米国産)であった。
1998年8月9日。フランス夏競馬の本拠地ドーヴィル競馬場のモーリスドゲスト賞(3歳上、芝1300m・直線)に出走すると、武豊の騎乗で好スタートから2、3番手の絶好位につけ、残り200m手前で先頭へ。あとはジムアンドトニックの追撃を余裕の1馬身差に抑えて快勝だ。しかも、良馬場の勝ちタイム1分14秒7はコースレコードだった。レースは12頭立て、単勝10.4倍で6番人気タイの人気薄だったが、牝馬の身で牡馬の強豪を破る見事なレース振りだった。フランスの「パリ・チュルフ紙は“シーキングザパール爆弾、炸裂”と報じ、英紙レーシングポストは“日本の牝馬、歴史を作る”と大見出しを付けた。
シーキングザパールは父シーキングザゴールドの鹿毛馬。当時は植中昌子さんの所有馬で栗東の森秀行厩舎所属。日本で97年NHKマイルCのGI勝ちがあった。

1998年 ジャックルマロワ賞 タイキシャトル
シーキングザパールのモーリスドゲスト賞優勝からわずか7日後、当のフランスばかりでなく、広く世界の競馬関係者は再び日本馬の強さに驚きの声を上げることになる。今度はタイキシャトルが欧州最重要マイル戦のひとつ、ジャックルマロワ賞を制したからである。
タイキシャトル(父デヴィルズバッグ)は94年生まれのアメリカ産、栗毛の牡馬。大樹ファームの所有馬で美浦の藤沢和雄厩舎に所属し、当時は旧5歳(現4歳)。すでに日本でマイルCS、スプリンターズS、安田記念とGI3勝の超一流馬で、ここは単勝1.3倍の大本命に推されていた。レースでは岡部幸雄が騎乗し、最初はスタンド側にクビを向けて走っていたが、すぐに2番手で折り合い、最後までよく伸びてアマングメンに1/2馬身差の勝利を収めた。ドーヴィル1600m直線、良馬場の勝ちタイムは1分37秒4。レース翌日のパリ・チュルフ紙はシーキングザパールの勝利と合わせ、“フランスのマイル路線は日本馬の草刈場と化したのか”と警鐘をならした。

1999年 サンクルー大賞 エルコンドルパサー
海外で活躍した日本馬といえば、その実績からまずエルコンドルパサーの名を挙げなければならない。海外のGI勝ちは1つだけでも、凱旋門賞2着に敗れてなお強しのレースであった。
エルコンドルパサー(父キングマンボ)は渡邊隆氏が1995年にアメリカで生産した黒鹿毛の牡馬。渡邊氏所有のまま美浦の二ノ宮敬宇厩舎に預託され、NHKマイルC、ジャパンCと日本のGIを2つ勝ったあと、99年4月に渡仏。イスパーン賞(仏GI)2着入ったあと、99年7月4日のサンクルー大賞(仏GI、芝2400m)に出走、蛯名正義の騎乗で単勝3.2倍の2番人気に推されると、4番手から抜け出し、タイガーヒルに2馬身1/2差の快勝を収めた。3着ドリームウェル(前年の仏、愛ダービー馬)、4着サガミックス(前年の凱旋門賞馬)とハイレベルのレースだった。良馬場の勝ちタイムは2分28秒8。凱旋門賞を最後に引退、99年のJRA賞年度代表馬に選出されて日本で種牡馬入りしたが、02年7月16日、腸捻転で急死したのは惜しまれる。

1999年 アベイドロンシャン賞 アグネスワールド
アグネスワールド(父ダンジグ)は1995年生まれの米国ケンタッキー産。黒鹿毛の牡馬で馬主は渡辺孝男氏。栗東の森秀行厩舎に所属し、日本ではついにGIを勝てなかったのに、海外GIを2勝した異色のスプリンターであった。
最初の海外GI勝ちは1999年10月3日のアベイドロンシャン賞(仏、ロンシャン競馬場 芝1000m・直線)。この日はメインレースとしてエルコンドルパサーの凱旋門賞が控え、多くの日本人が競馬場に詰めかけていた。レースは武豊が騎乗し、いつもの先行策から先頭に立ったあと、英国馬のインペリアルビューティにいったんかわされながら、よく差し返し、これに短クビ差の勝利を収めた。不良馬場の勝ちタイムは1分01秒4。このレースには同じ森厩舎のドージマムテキも出走していた(結果14頭立て13着)。同馬の馬主、吉田照哉氏はアグネスワールドの共同馬主でもあるため、フランスの規則に従って、2頭は単勝が一括され、7.8倍の4番人気だった。

2000年 ジュライC アグネスワールド
日本馬として初めて海外GIを2勝したアグネスワールドは、また日本馬として初めて英国のレースを勝つ快挙を成し遂げた。フランスのアベイドロンシャン賞を勝っていったん日本に戻ったあと、2000年の旧6歳時に今度は英国へ遠征。まずアスコット王室競馬の華やかな雰囲気の中でキングズスタンドS(GII、1000m・直線)に向かうと、武豊騎乗で23頭立ての8番人気だったが、よく2着に好走した。それから3週間後の2000年7月13日、ニューマーケットのジュライC(GI、1200m・直線)に出走すると、やはり武豊の騎乗で堂々オッズ5倍の1番人気に支持され、好発から先団につけると、ゴール前でよく伸び、リンカーンダンサーに短頭差の勝利を収めた。やや重の勝ちタイムは1分13秒18。他の上位馬と比べ、馬場の悪い中央あたりを走らされ、着差以上の強さが感じられた。アグネスワールドはコーナーを回るのがうまくなく、海外の直線走路で生き返った名スプリンターであった。

2001年 香港ヴァーズ ステイゴールド
ステイゴールドは稀代の人気馬であった。旧3歳から6シーズンに渡って走り続け、50戦7勝、2着12回(海外2戦2勝含む)。父サンデーサイレンスのクオリティーを感じさせる黒鹿毛の牡馬だが、馬体重420キロ前後の小さな体でけなげに走り、勝てなくても頑張り続ける姿が共感を呼んだ。97年10月から28連敗のあと、2000年5月の目黒記念(GII)で重賞初優勝を飾ったときはGI並みの歓声に包まれた。その後、01年1月の日経新春杯を勝ってドバイシーマクラシック(当時GII)へ遠征。武豊騎乗でハナ差の差し切り勝ち。そして01年12月16日、引退レースの香港ヴァーズに向かうと、武豊騎乗で単勝2.05倍の1番人気に支持され、届かないかと思われる位置からエクラールをアタマ差にかわし、最後の最後で悲願のGI勝ちを果たした。シャティン競馬場、芝2400mの勝ちタイムは2分27秒8。ステイゴールドは1994年生まれ。北海道の白老ファームの生産馬で、馬主(有)社台レースホース。栗東の池江泰郎厩舎に所属していた。

2001年 香港マイル エイシンプレストン
香港の芝コースは日本よりもクッションがきいて時計がかかり、日本からの遠征馬は何よりもコース適性が求められる。その意味で、エイシンプレストンほど香港への抜群の適性を示した日本馬は他にいない。日本でも朝日杯3歳S(現在の朝日杯FS)を勝っているGIウィナーだが、その後がGII、GIIIを各2勝したものの、GIには届かなかった。それが香港でGI3勝である。海外GIを3勝した日本馬は他にいない。
エイシンプレストンの最初の香港GI勝ちは、01年12月16日の香港マイル(シャティン 芝1600m)だった。主戦の福永祐一が騎乗して単勝24.85倍という人気薄だったが、控えるレースから外をついて一気に突き抜け、エレクトロニクユニコーンに3馬身1/4の決定的な差をつける完勝だった。良馬場の勝ちタイムは1分34秒8。前走のマイルチャンピオンシップ(京都GI)で3/4馬身差の2着だったのに、なぜか人気の盲点になっていた。

2002年 クイーンエリザベス2世C エイシンプレストン
エイシンプレストン(牡、父グリーンダンサー)は1997年生まれのアメリカ産。平井豊光氏の所有馬で、栗東の北橋修二厩舎に所属した。 香港でのGI3勝のうち、最初の1勝は01年末の香港マイル。アグネスデジタルの香港カップ、ステイゴールドの香港ヴァーズと合わせ、日本馬がGIを3つ続けて勝ったときの1勝である。 そして香港GIの2勝目となるのが、それから4ヶ月後の02年4月21日に行われたクイーンエリザベス2世C(シャティン、芝2000m)である。距離不安がささやかれ、本命の座をゴドルフィンのグランデラに譲って2番人気だったが、福永祐一の騎乗で中団後ろの内に控える展開から4角で外に出し、追い込み態勢へ。ドバイワールドC6着から転戦となるアグネスデジタル(3番人気)が直線に向いて抜け出しにかかったが、それをエイシンプレストンが1/2馬身かわしたところがゴールだった。海外GIで日本馬初のワンツー・フィニッシュが決まった瞬間であった。

2003年 クイーンエリザベス2世C エイシンプレストン
エイシンプレストンの海外制覇はなお続く。02年4月のクイーンエリザベス2世Cで香港2戦2勝としたあと、日本に帰って毎日王冠、マイルチャンピオンシップ各2着など勝てないレースが続き、02年12月の香港カップはまさかの5着。香港馬のマークがきつく、馬群に囲まれて肢を余した印象があった。
明けて6歳となったエイシンプレストンはダートのフェブラリーSに出走して大敗しながらも体調を整え、03年4月27日再び香港のクイーンエリザベス2世Cへ向かう。折からSARS(新型肺炎)が流行中で外国からの出走馬は他にドイツのパオリニだけだった。エイシンプレストン全32戦10勝(海外5戦3勝含む)の全てに騎乗した福永祐一を背に、1番枠から好発を決めると3番手につけ、外目に持ち出して豪快に差しきったのである。単勝2.45倍の1番人気に応える強い勝ち方であった。2着のエレガントファッションに1馬身3/4の差をつけ、良馬場の勝ちタイムは2分03秒8。“香港キラー”の海外GI3勝目が達成された。

2001年 香港カップ アグネスデジタル
2001年12月16日、香港国際レース当日のシャティン競馬場は、さながらジャパン・デーの趣であった。国際レース4つのうち、香港スプリントは当時まだGIIで、残るGI3つをすべて日本馬が勝ったのである。
そのうち最高賞金の香港カップを制したのがアグネスデジタルだった。1着賞金1020万香港ドル(当時の約1億7000万円)は芝2000mのレースとして世界最高額であった。アグネスデジタル(当時4歳)は直前の天皇賞・秋を制していて絶好調。四位洋文の騎乗で単勝3.95倍の2番人気に推され、外の12番枠から出て先行し、早め早やめの競馬で最後もしっかりと伸び、1番人気のトブーグ(ゴドルフィン所属)をアタマ差に抑えたもの。良馬場の勝ちタイムは2分02秒8。
アグネスデジタルは97年生まれのアメリカ産。父クラフティプロスペクターの栗毛の牡馬で渡辺孝男氏が所有し、栗東の白井寿昭厩舎に所属した。この4ヶ月後、香港で日本馬1・2着決着の一角を占め、再び注目を集めた。

2005年 香港マイル ハットトリック
ハットトリックは2001年生まれ。北海道の追分ファームの生産馬で、父のサンデーサイレンスと同じ青鹿毛の牡馬。(有)キャロットファームの所有馬で、当初は美浦の清水美波厩舎に預託されたが、3歳時5月の初出走から3戦2勝したあと、3歳秋に現在の角居勝彦厩舎(栗東)へ移籍した。その後、05年の4歳時を迎えて京都金杯、東京新聞杯とGIII2勝のあと、11月のマイルチャンピオンシップでGI馬となり、翌12月の香港マイル(シャティン、芝1600m)へ。当時の主戦、O.ペリエの騎乗で単勝4.8倍の3番人気に推されると、外の10番ゲートから出て12番手の外に待機。3角過ぎから上昇開始、4角を回って外から一気に突き抜け、香港のザデュークに1馬身1/4の差をつけて快勝した。良馬場の勝ちタイムは1分34秒8。一緒に出走したアサクサデンエンは6着。香港近年の国際レース(GI4つ)で日本馬は03、04年と全滅を喫したが、ようやく3年振りの勝ちどきをあげることができた。

2005年 アメリカンオークス シーザリオ
日本ダービー馬のハクチカラがアメリカ主要レースのワシントンバースデーH(当時のGI級)を勝ったのは遠く1959年のこと。それから46年後の2005年7月3日、日本オークス馬のシーザリオがアメリカンオークス(ハリウッドパーク、芝2000m)を制した。これは日本馬初の米GI勝ちであり、日本の3歳馬初の海外GI勝ち。さらに父スペシャルウィークで内国産種牡馬の産駒として初の海外GI勝ちとなるなど、数々の初ものづくしの快挙となった。
シーザリオはノーザンファームの生産馬で馬主は(有)キャロットファーム。栗東の角居勝彦厩舎に所属し、桜花賞こそアタマ差2着に敗れたが、日本オークスではエアメサイアを計ったようにクビ差かわして優勝し、アメリカンオークスでは3角先頭から本命のメリョールアインダを4馬身ちぎる圧勝であった。単勝5.4倍の2番人気タイに推され、良馬場の勝ちタイムは1分59秒03のレースレコード。通算6戦5勝、福永祐一では5戦5勝としたが、日本に帰って右前繋靭帯炎を発症し、そのまま引退となった。

2006年 ドバイシーマクラシック ハーツクライ
 2006年を迎え、日本の馬は海外からかつてない注目を集めることになる。その先鋒を務めたのがハーツクライだった。05年のジャパンCでハナ差2着のあと、有馬記念でディープインパクトに唯一の黒星をつけ、それ以来3ヶ月ぶりとなる06年3月25日のドバイシーマクラシック(ナドアルシバ、芝2400m)を圧勝したからである。主戦のC.ルメールが騎乗し、マイペースの逃げに持ち込むと、愛セントレジャー馬のコリアーヒルに4馬身1/4の差をつけた。ドバイはイスラム圏で馬券はないが、英国ブックメイカーのオッズは3.75倍で2番人気だった(1番人気のウィジャボードは3.25倍)。IFHA(国際競馬統括機関連盟)発表の最新ランキング(06年5月7日付け)では、ハーツクライはディープインパクトとともにレーティング123を与えられ、堂々世界3位タイにつけている。ハーツクライは01年生まれ。父サンデーサイレンスの鹿毛の牡馬で生産者は社台ファーム。(有)社台レースホースの所有馬で栗東の橋口弘次郎厩舎に所属している。

2006年 シンガポール航空国際C コスモバルク
コスモバルクは地方競馬所属のままJRAや海外のレースで活躍を続ける異色の馬である。父ザグレブの鹿毛の牡馬で2001年生まれ。北海道三石の加野牧場の生産馬になる。馬主は岡田美佐子さん、ホッカイドウ競馬田部和則厩舎に所属し、ここまでラジオたんぱ杯2歳S(GIII)、弥生賞(GII)、セントライト記念(GII)とJRAの重賞を3勝。04年の3歳時には皐月賞とジャパンCでいずれも2着に好走した。そしてついに悲願のGI勝ちとなったのが06年5月14日のシンガポール航空国際C(クランジ、芝2000m)である。主戦の五十嵐冬樹が騎乗し、単勝6.8倍の3番人気に支持されると、レースではさっと2番手につけ、最後の直線半ばで先頭に立つと、地元馬のキングアンドキングに1馬身3/4の差をつけて快勝した。やや重の勝ちタイムは2分06秒50。地方競馬所属馬が海外GIを制したのは史上初のことになる。レース後、馬ピロプラズマ病の疑いがあるとされたが、再検査で陰性が証明されたのは何よりであった。

2006年 メルボルンC デルタブルース ~日本馬ワンツー成る~
メルボルンC(G1、芝3200m)といえば、オーストラリア最大のレース。11月第1火曜のレース当日は、地元ヴィクトリア州の学校も官庁も銀行も、すべてお休み。その国民的行事で、2006年11月7日、日本馬ワンツーフィニッシュという大快挙が達成されました。勝ったのは2004年の菊花賞馬デルタブルース。岩田康誠騎手を鞍上に好スタートを決めると、2番手につけてレースの流れに乗り、最後の直線に向いてすぐ先頭へ。ゴール前で外からD.オリヴァー騎乗のポップロックが急追しましたが、これをアタマ差に抑えました。3着のメイビーベターはさらに4馬身1/2離され、日本馬2頭の強さが際立つレースでした。レースは23頭で行われ、良馬場の勝ちタイムは3分21秒42。当日は寒い一日となりましたが、メルボルン郊外のフレミントン競馬場には、10万6691人の大観衆が詰めかけていました。メルボルンCの1着賞金は300万豪ドル。当時のレートで約2億7000万円は、ジャパンCの1着賞金2億5000万円を上回る高額です。

2007年 ドバイデューティフリー アドマイヤムーン
2007年のJRA年度代表馬に選出されたアドマイヤムーン。その07年の最初のレースとして出走したのが、3月31日のドバイデューティフリー(G1、芝1777m)でした。1着賞金300万ドル(当時のレートで約3億5000万円)は、同じ日のドバイシーマクラシック(芝2400m)と並び、芝レースの世界最高賞金です。それだけにフルゲート16頭のうちG1勝ち馬が8頭という高水準の争いとなりましたが、アドマイヤムーンは武豊騎手を背に、中団後ろの外から抜群の瞬発力を見せ、残り300mで一気に先頭へ。あっという間に3馬身のリードを取ったあと、南アフリカのリンガリが追い込み、最後は1/2馬身差でしたが、内容的には圧勝といっていい強い勝ち方でした。日本のもう1頭、ダイワメジャーは3着でした。アドマイヤムーンはその後、6月の宝塚記念を勝ち、7月にはダーレー(モハメド殿下)へ40億円とされる巨額でトレードされ、11月のジャパンCを勝って引退しました。

2007年 シンガポール航空国際C シャドウゲイト
日本馬のレベルが国際水準へと引き上げられるにつれ、相性のいい国際レースが見られるようになりました。毎年5月に行われるシンガポール航空国際C(G1、芝2000m)もそのひとつです。2006年にコスモバルクが勝ち、地方馬として初めて海外G1制覇を果たすと、2007年にはJRAのシャドウゲイトがコスモバルクを2着に抑え、日本馬ワンツーの偉業が達成されました。レースは2007年5月20日、シンガポールにただひとつのシンガポール競馬場(通称クランジ競馬場)に13頭を集めて行われました。シャドウゲイト(田中勝春騎手)は単勝3.8倍の1番人気に推されると、4番手の外からゴール前で抜け出し、コスモバルクに1馬身1/4の差をつけて快勝。稍重の勝ちタイムは2分04秒0でした。シャドウゲイト(牡、父ホワイトマズル)は美浦の加藤征弘厩舎に所属し、5歳初戦の2007年中山金杯(GIII)で重賞初勝利を挙げていました。このレースの1着賞金は159万シンガポールドル(当時のレートで約1億2700万円)。

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